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高松高等裁判所 昭和46年(ラ)2号 決定 1971年10月06日

抗告人

株式会社高知放送

右代表者

西本正三

右代理人

隅田誠一

主文

原決定を左のとおり変更する。

抗告人を過料金五〇万円に処する。

本件手続費用は原審及び当審とも全部抗告人の負担とする。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は、別紙に記載のとおりである。

よつて判断する。

一記録によれば、抗告人が、昭和四一年一〇月一日抗告人会社の本社(高知市所在)に勤務していた河野裕、同林重道に対し、いずれも抗告人会社の大阪支社へ、同田中勝夫に対し同じく中村放送局(高知県所在)へ、同宮村剛史に対し同じく東京支社へそれぞれ配置転換を命じたところ、林は右配置転換命令(以下配転命令という)を拒否して抗告人の本社にとどまつたが、その余の三名は、右配転命令に従いそれぞれの任地に転勤したこと、ところがその後右配転命令については、右河野裕等四名の申立に基づき、昭和四四年二月二六日高知県地方労働委員会において右配転命令の撤回と原職復帰の救済命令が出され、ついで抗告人の申立に基づく再審査の申立も、同四五年五月六日中央労働委員会で棄却され、さらに同委員会の申立に基づき、同年一〇月七日東京地方裁判所において、抗告人に対し原職復帰の本件緊急命令が出され、右命令は同月九日抗告人に送達されたことが認められる。

二そこで、つぎに抗告人がその主張の如く本件緊急命令を履行したか否かについて判断する。

(一)  原職復帰に必要な旅費等について

配転命令に基づいて現実に他の任地に転勤した労働者が原職復帰の緊急命令により原職復帰をするに際し、旅費やその他引越費用等を要する場合には、右旅費等は、通常の転勤の場合と同様に、緊急命令を履行する義務を負う使用者において当然に負担すべきであつて、右原職復帰をさせる前提として右旅費等を現実に労働者に支給しなければならないものと解すべきである。元来緊急命令は、経済的弱者の立場にある労働者の経済的な保護と団結権の保護を目的とするものであるところ、本件では使用者に対し前記四名を原職に復帰さすことを命ずるものであるから、使用者は右命令履行のために要する経費は本件のように旅費たるとその他の経費たるとを問わず自らこれを負担すべきものと解すべきで、救済命令が後に取消されると否とは右緊急命令履行のための費用の負担の義務に影響を及ぼすものではない。

ところで本件においては、記録によれば、河野裕、田中勝夫、宮村剛史の三名は、前記の通り、抗告人の配転命令に基き、現実に大阪、中村(高知県)、東京の各地に転任したものであるから、本件緊急命令に基き、抗告人会社の本社の原職に復帰するためには、当然に、旅費やその他引越費用等が必要であつたこと、そこで本件緊急命令が出された後右三名の者、殊に河野、宮村の両名は、抗告人に対し、通常の転勤の場合と同様に規定通りの旅費等の方給を強く要求したところ、抗告人は当初から右旅費等の支給を拒否し、昭和四五年一〇月二一日には、抗告人会社の三谷総務局長名の文書を以て、組合宛に、「本件原職復帰は正規の人事移動ではなく、又配転命令に対する救済事件も未確定であること等を理由に、旅費は支給できないが、旅費の実費を無利子で貸付ける、」との旨の意思を表明し、さらに同年一一月七日頃には、右三谷総務局長が右河野等に対し、口頭で、旅費とは家族を含めての汽車、汽船、飛行機等に乗る費用、家財の荷造運送料を意味し、貸付といつても返済の必要がなく行政訴訟(中労委の決定に対する訴訟)事件の確定により最終的に決定するという趣旨の説明をし、結局、旅費等を通常の転勤の場合と同様に支給することを拒否していたこと、そこで河野、宮村の両名は、その後抗告人を相手方として高知地方裁判所に右旅費等の仮払いの仮処分申請をしたところ(同裁判所昭和四五年(ヨ)第一七八号事件)、同年一二月二五日同裁判所において右仮処分申請を認容する仮処分決定がなされたので、抗告人は同月二九日右旅費等を右河野、宮村の両名に支払つたこと、以上の如き事実が認められる。

抗告人は、右河野等が原職復帰をするについて必要な旅費等については、抗告人が同額の金員を貸付け、前記救済命令に対する行政訴訟が確定するまでその返還を求めないこととしていたことを以て、右原職復帰に必要な措置をとつたものであると主張するが、抗告人は、前述の通り、本件緊急命令を履行する前提として、通常の転勤の場合に適用される旅費規定に基き、右旅費等を現実に支給すべき法律上の義務があつたところ、右旅費等の現実の支給と、これと同額の金銭の無利息の貸付とは、法律上その性質が本質的に異るから、右旅費と同額の金銭の無利息の貸付をもつて、旅費等の現実の支給と同様に解することはできない。

なお、記録によれば、前記河野及び宮村の両名は、本件緊急命令の履行方法等につき、同人等の所属する労働組合(以下単に組合という)を通じて抗告人と団体交渉をもつべく、本件緊急命令が出されて間もなくの、昭和四五年一〇月一四日頃、家族は転任先の大阪や東京に残こしたまま、単身、抗告人会社の本社のある高知市に自費で帰つてきたことが認められるが、右両名が自費で高知市に帰つたからといつて、抗告人が本件緊急命令を履行する前提としての旅費等の支給義務を法律上当然に免れると解することはできない。

してみると、抗告人が前記河野、田中、宮村三名の要求にも拘らず、原職復帰に必要な旅費等を前記仮処分決定があるまで現実に支給しなかつたことは、とりもなおさず、本件緊急命令の履行を怠つたものといわざるを得ないのであつて、右旅費等を現実に支給しなかつたにも拘らず、本件緊急命令の履行を怠らなかつたとの抗告人の主張は失当である。

(二)  河野等四名の復帰すべき原職の指示等の具体的措置について

記録によると、次の如き事実が認められる。すなわち、

(1)  抗告人は、本件緊急命令が出されて間もなくの、昭和四五年一〇月一二日、河野裕、田中勝夫、林重道、宮村剛史の四名に対し、「東京地裁から一〇月九日緊急命令の決定が送達された。会社としてはこの命令に従わねばならないので、すみやかに本社に帰られたい。」と記載した通知書を送付して抗告人の本社に帰るよう求めたが、それ以上に復帰すべき原職の職場、復帰の日時、方法等についての、具体的指示は何等与えなかつたこと、

(2)  つぎに、抗告人会社の三谷総務局長は、同年一〇月一三日頃、宮村、林両名の原職である報道部の中村部長や河野の原職に相当する整理部(河野の原職はテレビ進行部であつたが、右テレビ進行部はその後なくなつた)の森本部長、田中の原職である第一技術部の上位管理職である森本局長(部長は当日不在)等に対し、「緊急命令は守らなければならないので、河野等四名が帰つてきて職場に這入つてきた場合には昭和四一年一〇月の移動前に行なつていた業務につかせること」との指示を一応与え、その頃右河野等四名の復帰すべき各職場にタイムカードを備えたが、河野等本人に対しては依然として右復帰すべき職場や復帰の具体的方法について何等の指示もしなかつたし、また、河野、宮村については、大阪、東京の各支社にも従前通りタイムカードを備え付けていたこと、

(3)  そして、同年一〇月一四日頃、右三谷総務局長が組合側の中山副委員長に対し、非公式ではあるが、宮村、林の復帰すべき職場は報道部、田中は第一技術部、河野は整理部である旨を告げ、同月一六日には、右原職復帰の窓口交渉に訪れた組合委員長茂松延章や、前記河野、宮村等に対し、抗告人会社の川崎人事課長が河野の原職は整理部である旨告げたこと、さらに抗告人会社の三谷総務局長は、同年一一月七日頃、河野、田中、林、宮村の四名に対し、直接口頭でその復帰すべき職場につき、宮村、林の両名は報道部、田中は第一技術部、河野は整理部であると告げたが、具体的な就労方法等については、依然として何等の指示もしなかつたこと、

(4)  一方、前記河野等四名と同人等の所属する組合は、本件緊急命令が出された直後、抗告人に対し、右緊急命令の履行方法等についての団体交渉を開くよう申入れ、さらにその後も、右四名の復帰すべき原職、その時期、方法等の外、前記河野、田中、宮村等の原職復帰に伴う旅費等の支給や住宅の問題、林の原職復帰後の賃金(この点については後述)を明示する問題、さらには右四名に対する配転命令を不当として抗告人が謝罪することやその損害賠償等について、団体交渉を開くよう再三に亘つて申入れたが、抗告人会社は、本件緊急命令を全面的に履行し、河野等四名を原職に復帰させるからとして、右組合側の要求する団体交渉を拒否し続けたこと、そして同年一一月一六日頃に至り、抗告人は組合側の強い要求に応じて、漸く右緊急命令の履行方法等に関する団体交渉を開いたが、抗告人は従前の主張を固執し、抗告人側と組合側との主張が全く対立したまま交渉はまとまらずに終つたこと、なお、その後は同年一二月二五日頃まで右団体交渉を開こうとしなかつたこと、

(5)  ところで、河野、宮村の両名は、同年一〇月一四日頃転任先の大阪や東京から高知に帰つたが、同人等を含む前記四名の者は、前述の如き状況の下に、抗告人会社が河野、宮村、田中の三名に現実に旅費を支給しようとせず、各転任先で現に行なつている事務の引継ぎやその他原職復帰の具体的な日時・方法等も指示しなかつたし、又林については就労後の賃金を定めなかつた上、本件緊急命令の履行に関する河野等の要求や原職復帰の具体的方法等を、団体交渉を開いて解決しようとしなかつたことなどから、前述の如く、抗告人から本社に帰れといわれ、又、その復帰すべき原職が一応明らかになつた後も依然として就労しなかつたこと、

(6)  その後、同年一二月二四日、抗告人会社が社長名を以て、河野等四名に対し、「緊急命令の示すとおり、すみやかに原職に就かれたい、原職は会社が再三明らかにした通りである、原職復帰に必要な旅費等は、申出があれば、旅費規定に定められた範囲の金額を必要な日までに支給する。」という趣旨の書面を送付し、同月二四日には本件緊急命令違反に対する原決定がなされ、右決定は同月二六日抗告人に送達されたこと、

そこで、河野等は、右のような事情やその他の情勢の変化を考慮し、組合の幹部とも相談の上、同年一二月二八日から原職の職場に出頭して就労し、いわゆる原職に復帰したこと、なお、右復帰した職場は、宮村、林は報道制作部(旧報道部)、河野は整理部、田中は運行部(旧第一技術部)であること、

以上の如き事実が認められる。

しかして、以上の如き事実からすると、本件緊急命令が出されてから、抗告人側は河野等四名が直ちに本社に帰り、各自の原職に復帰して就労することを妨げなかつたもので、右河野等が現実に原職に復帰して就労することは、事実上必ずしも不可能ではなかつたものと推認される。

しかし、本件緊急命令の履行としての原職復帰は、河野等四名を抗告人の業務遂行の体制に完全に組み入れた状態においてさせなければならないところ、本件において、抗告人が単に右の如く河野等が原職に帰つて就労することを妨げないとの態度をとつたことのみから、直ちに右にいわゆる業務遂行の体制に完全に組み入れた形において原職復帰をさせたものとは解し難いのである。すなわち、河野等四名が原職を離れてから既に四年も経過していたのであるから、経験則上、その間に原職における仕事の内容や人的構成等の点で変化があつたものと解せられるし、又林を除くその余の三名は新任地で約四年間新たな仕事に従事していたのであるから、右原職復帰については、抗告人側において、右河野等が原職復帰すべき時期や、右復帰に際して現実に何人の指揮命令を受け、どのようにして復帰するか、又現に行なつている事務の引継ぎをどのようにするかなど、いわゆる復帰の方法等について具体的指示をするか、又は、これらの点について組合と団体交渉を開き、話合いでその方法等を定め、さらには林を除くその余の三名に対しては、前記の如く原職復帰に伴う旅費等を支払い、林については、後記の如く原職復帰後の賃金をあらかじめ定めてこれを明示しなければ、抗告人が右河野等をその業務遂行の体制に完全に組み入れて就労させようとしたことにはならないものと解するのが相当である。しかるに、前記認定の諸事実やその他記録によれば、本件では、抗告人がこれらの措置をとつたものとは認められないから、結局、抗告人は、本件緊急命令の不履行の責任を免れないものというべきである。

なお、記録によれば、河野裕は子供の学校の関係等により、又宮村剛史は共稼ぎをしていた妻の事情等から、本社に帰つて原職復帰をする時期として、昭和四五年一二月以降を希望していたことが認められるけれども、右はあくまでも右両名本人の希望に過ぎず、これがため前述の如き具体的措置をとらないまま放置しておくことは許されないものと解すべきである。したがつて右両名の希望をとらえて、抗告人に本件緊急命令が不履行の責任がないとはいい難い。

(三)  林重道の賃金について

記録によれば、(1)林重道は、前記昭和四一年一〇月一日の配転命令を拒否し、その後高知地方裁判所において右配転命令の効力の停止及び昭和四四年三月一日以降本案判決確定まで一ケ月金二万円の賃金仮払いの仮処分決定を得たが、事実上就労しておらず、かつ、右金二万円以外には賃金を得ていなかつたところから、同人が原職に復帰した場合の賃金は右同人には全く不明であつたこと、(2)そこで、右林本人及び組合は、本件緊急命令が出された後抗告人に対し、右原職復帰をした場合の賃金を明らかにするよう要求したが、抗告人側は林が就労した後においてその賃金を明らかにすると主張して、右賃金をあらかじめ明らかにしようとせず、昭和四五年一二月二八日右同人が現実に就労した後にはじめてこれを明らかにしたこと、以上の如き事実が認められる。ところで、使用者は労働契約の締結に際し、労働者に対し、賃金その他の労働条件を明示しなければならないのであるから(労基法第一五条参照)、右法律の趣旨からいつて、前述の如き事情の下に原職復帰後の賃金が不明であつた林については、同人を原職に復帰させるに当り、抗告人はあらかじめ右原職復帰後の賃金を決定し、かつ、これを明示しなければならなかつたものといわなければならない。そうだとすれば、右林の原職復帰後の賃金をあらかじめ明示しなかつた抗告人には、本件緊急命令履行の責任を免れないものといわなければならない。

三してみると、河野裕等四名が本件緊急命令の出された後、すみやかに原職復帰ができなかつたのは、抗告人主張の如く、右河野等四名に就労の意思がなく故意に就労しようとしなかつたことがその主たる原因であるということはできず、むしろ本件緊急命令の履行に対する前述の如き抗告人側の態度にその主たる原因があつたものというべきであつて、抗告人には本件緊急命令不履行の責任があるといわなければならない。なお、このことは、前記河野等四名が前記の如く昭和四五年一二月二八日以降就労したとの事実を以て左右されるものでないことは勿論である。

よつて、抗告人に本件緊急命令不履行の責任がないとの抗告人の主張は失当である。

四つぎに、抗告人の本件緊急命令不履行によつて抗告人に科すべき過料額について考えるに、本件原職復帰の緊急命令履行の対象者は四名であつて、その不履行の期間は約二ケ月半であつたこと、又右不履行の期間中に、右緊急命令の履行方法等につき抗告人側のとつた前述の如き態度、並びに、これに対する前記河野等四名及び組合の態度や、昭和四五年一二月二八日に右河野等四名が原職復帰をするに至つた事情等を綜合して考えると、抗告人を過料金五〇万円に処するのが相当であつて、原決定が過料金一〇〇万円に処したのは重きに失するものといわなければならない。

五よつて、原決定を取消して抗告人を過料金五〇万円に処することとし、本件手続費用につき民訴法第九六条非訟事件手続法第二〇七条第四項を適用して主文の通り決定する。

(合田得太郎 谷本益繁 後藤勇)

<別紙省略>

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